私が12年住んでいたNY。
そのNYにもいたことがある画家ということで親しみがあるハワイを代表する画家Tadashi Sato。
ハレクラニホテル、ダウンタウンにある州議会議事堂に飾られている絵でも有名です。
Tadashi Satoは、ハワイのマウイ島カウパカルアで生まれました。
父はパイナップル畑の労働者、商人、書道家、祖父は墨絵画家でした。
昨年、ハワイ大学のアートセンターにて行われた彼の個展も素晴らしかったです。
引用:「Tadashi Sato」(2023年4月25日(○曜日)22:37 UTCの版) 『ウィキペディア英語版』https://en.wikipedia.org/wiki/Tadashi_Sato
下記にTadashi Satoの経歴をウィキペディア英語版より日本語に翻訳して掲載しています。
経歴
幼少期は墨絵と書道を学ぶ。第二次世界大戦中は語学専門家として従軍し、ホノルルのキャノン・スクール・オブ・ビジネスに進学した。その後、G.I.ビル(退役軍人に対する奨学金)を利用してホノルル美術館に滞在しプレシジョニズム画家のラルストン・クロフォードのもとで美術への関心を深めた。1948年、ニューヨークへ渡り、 Brooklyn Museum Art School、Pratt Institute 、New York School for Social Research で学ぶ。ニューヨーク近代美術館(MoMA)で警備員として働いていたとき、転機が訪れた。映画のエキストラとして働いていた友人から、美術品コレクターである俳優のチャールズ・ロートンとバージェス・メレディスを紹介された。彼らは、Tadashiのアパートを訪ね、何枚かの絵を買っていった。Tadashiはすぐに美術館の上司に電話をかけて辞職した。
1950年から1960年にかけて、ニューヨークとハワイを行き来し、ハワイとアメリカ本土の両方で展覧会を行った。1960年、Tadashiは妻のKiyokoと2人の子供とともにハワイに戻る。1965年、ジョンソン大統領主催の「ホワイトハウス芸術祭」で、ジョージア・オキーフ、ジャクソン・ポロックらアメリカの芸術家たちと並び称される。1960年から2005年に亡くなるまで、マウイ島で暮らした。